パリへ帰還、そして再建
ロベスピエールの失脚後、ブレゲは1795年5月にパリに戻ります。事業の再建をし、新しいモデルを開発します。特に「スースクリプション(予約販売の時計)」と呼ばれた一本針の時計を制作します。この時計は、カタログ広告を使って販売をしたもので、注文時に総額の25パーセントの前金の支払いをともなうものでした。
1796年6月、ブレゲは、科学アカデミーの機械技芸部門の会員に出願しています。しかし、ライバルのラザール.カルノが選出されて望みはかなえられませんでした。
1798年、ブレゲは第1回フランス工業製品博覧会に出品し、金メダルを獲得します。