1747年1月10日 アブラアム=ルイ.ブレゲ、ヌーシャテルにて誕生。父は、ジョナス=ルイ.ブレゲ、母は、シュザンヌ=マルグリット.ボール。ブレゲ家は、この地のブルジョア階級に属していた。
1758年 ジョナス=ルイ.ブレゲは、わずか39歳で、早世する。妻は、1759年に、夫の従兄弟で時計製造業を営むジョゼフ.タテと再婚。この義父の指導のもとに、若きアブラアム=ルイは、時計師の修行をする。
1762年 A-Lブレゲは、15歳の時、フランスに来る。パリに住み着く前に、ヴェルサイユの時計師のもとで修行を始める。パリでは、コレージュ.マザランにて、マリ神父より科学を学ぶ。マリ神父は、この後、彼の庇護者となる人である。若きブレゲは、時計師フェルディナン.ベルトーとジャン=アントワーヌ.レピーヌの工房に出入りしている。
1775年 A-Lブレゲは、シテ島の時計河岸(quai de l’Horloge) に独立開業。28歳で、セシル.リュイリエと、パリのサン.シュルピス教会で結婚。
1776年8月16日 一人息子、アントワーヌ=ルイ.ブレゲ誕生。この4年後、妻が没する。
1784年 A-Lブレゲ、時計師同業組合に入会を承認される。宮廷に紹介を受け、フランス大貴族の顧客を得る。
1787年 A-Lブレゲは、時計卸商グザヴィエ.ジードと組んで、「時計宝飾品販売のブレゲ商会」を設立する。
1791年 A-Lブレゲは、ロンドンに多くの友人と知己があり、パリの情勢の鎮静を待ちながら、ロンドンに住むことを計画し、息子をロンドンに呼んでいる。政治的に、また業務方針上で、ジードと意見の対立をみる。グザヴィエ.ジードとの共同事業を解消(9月)。
1793年 A-Lブレゲは、フランス革命の動乱を避け、家族と共にパリからスイスに帰国。パリの工房は、ブーランジェの管理のもとに継続している。
1794年 A-Lブレゲは、ロックル(スイス)に、小さい工房を開設。ここで、多くの技術革新を考案した。パリ時計河岸の工房は開いていたが、略奪に遭い、やむなく移転を強いられる。
1796年 工房は、もとの場所に戻る。 アブラアム=ルイ.ブレゲ、彼の発明を論文に執筆。
1798年 A-Lブレゲ、フランス工業製品博覧会で、金メダルを受賞。
1802年 A-Lブレゲ、フランス工業製品博覧会で、金メダルを受賞。
1804年 孫のルイ=クレマン.ブレゲの誕生。
1808年 ロシアの顧客の拡大のために、A-Lブレゲは、サンクト=ペテルブルクに、ロシア支店「ロシアの店」を創設。ブレゲは、ロシア皇帝およびロシア帝国海軍ご用達時計師の正式な称号を授与される。
1811年 『動物運動と自発的運動の原則について』匿名で出版
ナポレオンの政策に対抗したツァーリ.アレクサンドル1世は、フランス製品のロシア入国を禁止。ブレゲは、ロシア支店を閉店せざるを得なかった。
1816年 ブレゲは、ルイ18世の政令により科学アカデミーの会員に任命される。
1817年 『ブレゲ氏制作の航海用時計の使用要領』の出版
1822年 ブレゲ社の最初の販売カタログ:『ブレゲと息子による、、、一般使用と科学測量器としての時計』
1823年 A-Lブレゲは、フランス工業製品博覧会の審査員になる。9月17日、76歳で没。アントワーヌ=ルイ.ブレゲ(47歳)の社長就任。
1827年 フランス工業製品博覧会で、金メダルを受賞。
1833年 アントワーヌ=ルイ.ブレゲの引退。ルイ=クレマン.ブレゲ(29歳)の社長就任。
1834年 フランス工業製品博覧会で、金メダルを受賞。
1843年 ルイ=クレマン.ブレゲは、経度局の一員に任命される。
1844年 フランス工業製品博覧会で、金メダルを受賞。これより時計販売は、ブルス広場の店舗で行う。
1845年 ブレゲ指示電信機の成功が評価されて、レジオン.ドヌール勲章シュヴァリエを受賞した。
1856年 電動時計の実用化、特に、リヨン市の街頭時計に電動時計を実用化する。
1870年 ルイ=クレマン.ブレゲ(66歳)は、これより電気の応用の研究に全面的に身を捧げることに決め、エドワード.ブラウンに時計部門の事業を売却する。以降、1970年までブラウン家の所有となる。
1933年 ブレゲ社が、平和通り28番地(28, rue de la Paix)に開店。1970年まで同地に所在。
1970年 時計ブランド.ブレゲは、宝石細工商ショーメ社に買収される。
1976年 ブレゲの工房は、ル.ブラシュス(ヴァレ.ド.ジュウ)に設立され、これより、全面的にスイスで制作されることになる。
1991年 ブレゲ時計グループの創立
1999年 ブレゲ時計グループは、世界一の時計制作グループ、スウォッチ.グループに買収される。ブレゲ時計店がヴァンドーム広場にて開店。
2000年 パリ、ヴァンドーム広場に、ブレゲ美術館が開館。
2001年 ロリアン村(スイス)のブレゲ製作所新工場の操業開始。
2004年 サンクト.ペテルスブルグ、エルミタージュ美術館にて、ブレゲのアンティーク時計の展覧会「エルミタージュのブレゲ展」開催。
2005年 《マリー.アントワネット》と呼ばれた時計番号160の再制作が、ニコラス.G.ハイエックによって決定される。
2008年 2年間の工事の後、ヴェルサイユ、小トリアノンとパヴィリオン.フランセが全面的な修復を受けされ、再び公開される。